【雑日記】底の底まで落ちれば後は

オーストラリアへの帯同が決まってからは、自分が渡航前にやらなければいけないことを調べたり、せっかく始めたのに諦めなくてはいけなくなったことが分かるたびに、ずーんと落ち込む日々を過ごしていました。
最終的に決めたのは自分なのに、何だかベトベトして重ーい塊がお腹の奥に張り付いているような感覚があり、ずっと何かはわからないことに納得できていないような気持ちでした。

そんな中急遽、夫の仕事がてら物件探しも兼ねて数日間シドニーに行くことなりました。
初のオーストラリア、シドニー…なのに、行っておきたい場所やお店なども調べる気も起きず、身体中が空っぽのような状態のわたし。

1日目は移動日。
2日目は、夫の友人がわたしたちにつきっきりで街案内をしてくれて、さらにはお知り合いの物件も紹介してくれました。街案内は多分ほぼメジャーな観光ルート。ビーチでの朝ごはん、緑いっぱいの公園を歩き、さらっと美術館や博物館の外観を見学。

最後は物件オーナー夫婦も交えてオペラハウスの下でディナーをいただきながら、運良くクイーンエリザベス号の出航を見送る、と初シドニーとしてTheパーフェクトな1日。
3日目は物件探しのエージェントとシドニー南部の海岸の街へ。候補だった街も、中が見られた物件も何もピンとこず。ただただ、シドニーの物価の高さを痛感し現実を見た1日でした。

3日目が終わった夜。
「夢と現実」を両方経験できたのが良かったのか、重かった頭が少しクリアになり、気持ちに変化があるのを感じていました。

ここで生きていくってどんな感じなんだろう。

ホテルの天井を見ながらずっと考えていました。

この滞在期間中、ホテルやレストラン、カフェなどで働く日本人スタッフを見かけましたが、日本人観光客が少なめだった(円安がガチ影響。本当にいなかった)こともあり、何人かに「日本語が聞こえたのが嬉しくて」と声をかけられました。話を聞いてみると、今まさにワーホリ中の方やワーホリ2年目でそのまま就職する予定という方も。皆さんテキパキ働いていて、お客さんとの会話も楽しむ余裕もあり、非常に逞しさを感じました。もちろん本人たちにしたら悩むこともあるだろうけれど、今のわたしには、この国で日本語以外を話して働いているという事実だけで尊敬できる存在。短時間だったけれど、心に残った出来事でした。

それに、街や人の空気を感じることができて本当に良かった。
正直、年が明けてからを例えるなら、井戸の底でさらに重たい泥をかいて自ら沈んでいきそうだったのです。
重量級の闇をお腹の中に抱えた自分には、シドニーで出会った笑顔の人々から感じた生命力が少し救いになりました。全てを拭うにはまだまだ自分の気持ちの切り替えと頑張りが必要だけれど、ここが底だと思えば。

苦しくても、せめて上を向いてもがければ。

と思えたのは、今のわたしには十分な前進なのです。

シドニーの美術館情報を調べていて出会った記事の言葉が、今の自分に掛けられた声のようで胸に響きます。

「物事が変化することを恐れる気持ちも理解できますが、私たちの美術館で行っていることを通して、あるいはもっと広い範囲で、変化には価値があることを理解してもらえればと願っています。変化を起こすことは、緊張や恐れよりも得るものが大きいのだから」。

美術手帖より

いつだって自分から「変化を起こそう」と思えるようになりたいものです。

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