シドニー中心部から電車とバスで1時間と少し。ノースシドニーの閑静な住宅街の中にひっそりと、しかし確実に特別な存在感を放つモダニズム建築「Rose Seidler House(ローズ・サイドラー・ハウス)」があります。

「ローズ・サイドラー・ハウス」はオーストラリアの建築史には欠かせない建築家のHarry Seidler /ハリー・サイドラー(1923年6月25日 - 2006年3月9日)よって設計されました。彼の両親の死去後、1980年あたりまではサイドラー家関連の人々が住んでいたそうです。その後ハリー・サイドラーによる改修や改築を経て、文化遺産としてMuseums of History NSW(NSW州歴史博物館)に引き渡され、現在は毎週日曜日だけ無料公開(2025年12月現在)されています。
今回はこの「ローズ・サイドラー・ハウス」の建物探訪レポートです。
オーストラリア現代建築を代表する建築家ハリー・サイドラー

建築家ハリー・サイドラーは、その生涯をまとめたら分厚い上下巻の小説になるくらい濃い人生を送った方です。
彼はオーストリアのウィーンで生まれ、25歳のときに両親が移住していたオーストラリアへと渡りました。両親のためにデザインした最初の建築がこの「ローズ・サイドラー・ハウス(ローズは母親の名前)」であり、華々しいキャリアの始まりへとつながっていったのですが、それまでには相当の苦労があったと思われます。
戦争に翻弄された一家
ユダヤ人であるサイドラー一家は、あのホロコーストが起こった時代に翻弄された人たちでもあります。
当時のドイツがオーストリアを併合した1938年ころ。ハリー・サイドラーの兄がイギリスのケンブリッジ大学で先に学んでおり、彼のためにビザを取得してくれたおかげで彼もイギリスに渡ることができました。
その後工科学校で建築を学び始めましたが、それも束の間、1940年ころイギリス当局により「敵性外国人(敵国の国民)」として捕まってしまいます。イギリスで収容されたのちカナダへ移送されることになり、1年半後に仮釈放されるまでの時間はそれは長く長く感じたことでしょう。
しかし元々聡明な彼はカナダの大学を優秀な成績で卒業し、しばらく建築事務所で働いたあと、奨学金を得てハーバード大学デザイン大学院に進学します。そこでの出会いは、その後の建築家人生に大きな影響を与えたといっても良いのでは。調べると驚きが止まらないビッグネームが次々と出てきます。
強運というよりは、先見の明が呼び寄せた必然の環境だったのかも知れません。
バウハウス初代校長に学びアアルトと共に働く

ハーバード大学ではヴァルター・グロピウスのもとで建築を学びました。グロピウスはドイツ系アメリカ人の建築家で、「BAUHAUS(バウハウス)」の創始者です。バウハウスとは、1919年に工業技術と芸術の統合を目指して設立されたドイツの国立総合造形学校のことです。1933年にナチスによって閉鎖させられるまでの短い間でも多くの優秀なデザイナーや建築家を生みました。今でもデザイン界におけるその影響力は計り知れないものがあり、もはや伝説的な存在として崇められているほどです。
その出会い以外にも、冬休みの間はのちに北欧が生んだ巨匠と呼ばれるアルヴァ・アアルトと共にMITの学生寮をデザインしたり、卒業後は大学で教えを受けた一人であるマルセル・ブロイヤー(バウハウス1期生の建築家、ワシリーチェアで有名)の初代アシスタントとして働いたり、リオデジャネイロでは近代建築の発展における重要人物とされるオスカー・ニーマイヤーと仕事をしたりするなど、強運ぶり……いやその実力を見せつけます。
▼バウハウスについてはその歴史や時代背景、現代への影響など深掘りすることが山ほどあり、この短い文章では説明しきれません。興味を持たれた方はぜひぜひ色々と調べてみてください。

賛否両論の時代を経て
両親の依頼でオーストラリアに渡ったハリー・サイドラーですが、当初は両親の家が完成したらアメリカに戻る予定だったようです。しかし、この「ローズ・サイドラー・ハウス」はオーストラリアでバウハウスの哲学を表現した最初のモダン住宅として数々の賞に輝き、注目を集めたハリー・サイドラーにはたくさんの依頼が舞い込みます。多くの顧客を抱えることになった彼はオーストラリアに留まることを決意したそうですが、シドニーの港の風景や自然の美しさも後押ししたと言われています。
その後は飛ぶ鳥も落つ勢いで数々の依頼をこなし、大きなプロジェクトをリードしていきますが、彼の建築デザインは「オーストラリアの自然へのリスペクトに欠ける」「デザインだけを重視している」「シドニーの美しい景観を邪魔している」という批判も多くありました。今でこそモダニズム建築の変遷を見ることができる貴重な建築と評されますが、ときに公にオーストラリアを批判することも辞さない強気な発言も相まって、在りしころは様々な話題も振りまいていたようです。
▼ハリー・サイドラーがインタビューに答える姿が観られます。

▼このサイトでハリー・サイドラーの有名な建築コレクションをチェックできます。

Rose Seidler House(ローズ・サイドラー・ハウス)
さてハリー・サイドラーの人生が興味深すぎて少々前置きが長くなりましたが、今回訪れた「ローズ・サイドラー・ハウス」のレポートに移りましょう。
小トリップに最適

「ローズ・サイドラー・ハウス」は、シドニー中心部から約1時間半ほどの場所にあります。Central駅から電車で40分ほどのTurramurra駅、またはHornsby駅でバスに乗り換えるとスムーズです。Turramurra駅からは5〜10分、Hornsby駅からバスで20分くらいです。
Turramurraからのバスの方が早く最寄りのバス停に着きますが、筆者はHornsby経由で行きました(割と大きな町なので)。しかし駅前発のバスは交通過疎地域を回るからか、迂回が多く思いの外時間がかかりました。また、30分おきにしかバスが出ていないため(多分日曜日だから?)、時間を潰したいときは駅近くにWestfieldを利用しましょう!ランチを食べたり、お買い物をしたりするのも良いですね。
日帰りでさくっと行って帰ってこられる距離で、小トリップにおすすめです。
いざ中へ
1階部分の中央が玄関

階段を上がる前に靴を脱ぎます

階段を上がるとボランティアの方がいるので、チケット(無料・事前予約)を見せて、必要であれば荷物やコートを預けてから見学開始です。20分くらいのツアーも随時行われています。時間が合えばぜひ参加してみてください。
寝室は2つ

ドレッサーもある

ハリー・サイドラーの母ローズさんはガーデニングをこよなく愛していて、この家のデザイン、特に庭をどう造るかには積極的に関わったとか。寝室やリビングからはとても綺麗なグリーンたちが見えます。
イームズのチェアも至るところに

イームズのチェアなどは今見ても本当に素敵ですよね。
こじんまりリビングは開放感抜群

壁面に取り付けられた棚にはレコードデッキが埋め込まれていました。
暖炉で空間を仕切っている

コンパクトなキッチン

キッチンやランドリー、シャワールームはかなりコンパクト。ランドリーとシャワールームは写真を撮るのも一苦労なくらい。全体的にかなりこじんまりとしていて、リビングルームとテラスの開放感に全振りしている感じです。
ここだけ唯一家具に座ることができます

壁のアートが印象的でアイコニックなテラスでは、唯一家具に触れることができます。見学していたみなさまはここで記念写真を撮られていました。
モダニズム建築好きにおすすめ
今回「ローズ・サイドラー・ハウス」を訪れるにあたって、冒頭の歴史を調べてから行きました。
建築家初期のデザインだとしてももちろん完成度が高すぎるのですが、家族のためのデザインだったこともあり、その後のビルや住宅と比べるとまだ若さも感じられると学芸員の方はおっしゃっていました。
自分の妄想したハリ・サイドラーのキャラクターと学芸員の方のお話をミックスしてさらに妄想したり、完成した後ローズさんとリビングで紅茶でも飲んでいる姿を思い浮かべたり。見学時間はそれほど長くなかったのですが、非常に満足感の高い建物探訪でした。
みなさまも機会があればぜひ。
DATA
Rose Seidler House
所在地:71 Clissold Rd, Wahroonga NSW 2076
Webサイト:https://mhnsw.au/visit-us/rose-seidler-house/
注意事項:日曜日のみの開放で事前予約が必要(チケットは無料)。大きな荷物などは入口で預ける必要があります。本格的なカメラでの撮影や三脚の使用は不可。動線が狭く壊れやすい物が多いため家具や小物は触らないようにしてください。
Picture Garalley












