オーストラリア国内には、世界遺産に登録されている負の遺産「囚人遺跡群」が11か所存在。

シドニーのシティ中心部、ハイドパークを抜けるとすぐに目に入るレンガ作りの建物。門を入るとそこには「Hyde Park Barracks(ハイドパーク・バラックス)」が。
今回はこの施設の見学レポートです。
▶︎パラマタにある「Old Goverment House(旧総督邸)」を訪れた話はこちら。「今度行ってみます」と書いた伏線(?)を回収しました。

世界遺産・囚人遺跡群のひとつ「ハイドパーク・バラックス」
噴水を背にオペラハウス側を向くと右側に見える

シンプルなレンガ造り

ハイドパーク・バラックスはオーストラリアの仄暗い歴史の象徴である囚人遺跡群のひとつで、ラックラン・マッコーリー総督の指示により囚人の建築家・フランシス・グリーンウェイ設計のもと建てられた、男性囚人のための宿舎でした。1848年までは囚人を収容するための施設として使用されたのち、女性移民が家族を探すため、もしくは職探しをする場になり、その後は政府の施設として利用され、現在は歴史を伝える博物館になっています。
囚人の建築家・フランシス・グリーンウェイ
フランシス・グリーンウェイはイギリス・ブリストル近郊の建築一家に生まれ、兄弟で建築設計事務所を営んでいました。しかし、ナポレオン戦争による経済不況の影響を受けてしまい、倒産回避のため契約書改ざんを図り「文書偽造」のために逮捕されてしまいます。なんと死刑宣告(重すぎやしないか)を受けるのですが、その後オーストラリアへ懲役14年流刑に処されることになりました。
現在のシドニーに辿りいたのちマッコーリー総督から公共事業担当の建設副監督官に任命され、このハイドパーク・バラックスやサウス・ヘッドの灯台(現在は改築されている)などの設計・建築に携わります。その後功績が認められ特赦されています。
Wikiによると、ハーバーブリッジのプランを提案したり、植民地における職人の技術向上を目的にレベル到達別に応じた賃金の支払い方法を導入するように求めたり(そして総督と揉める)するなど、先見の名がある頭の良い人だったようです。さらには、オーストラリアで最初に発行された10ドル紙幣の肖像になるなど、高く評価され人々に慕われていたことが伺えます。
アクセス良好で見学は無料

「ハイドパーク・バラックス」は、"ハイドパーク"とあるようにシドニーの中心部にある有名な公園を抜けた場所に位置するとあって、アクセスは抜群です。最寄りはSt.James駅かMartin Place駅、観光地であるQVB(クイーン・ヴィクトリア・ビルディング)からも徒歩10分ほど。バス停も周りに多くあるため複数の公共交通機関を利用することが可能で、大変便利な立地です。
例えば「観光で予定していたイベントが雨で中止になった」とか「ストライキで帰りのフライトが2日後になった」とかそんな場合にも時間をつぶせて、しかも歴史も学べるというプラスしかない施設。
さらには世界遺産なのに、見学は無料(2025年12月現在)なのが信じられません。
見学後だとなおさら、無料で良いのですか?と思うほど中身が濃い内容の展示です。
音声ガイドはマスト!
見た目スマホな音声ガイド

入口の門を入ると「Museum entry」と書かれたサインがあるので、その矢印の先にある建物の中で受付を済ませます。受付の方には「どこから来たか」「国 or オーストラリアに住んでいる場合は郵便番号」を聞かれます。
その後音声ガイドを借りるかどうか聞かれるので、絶対に「YES」と答えてください。音声ガイドは様々な言語に対応していて、日本語バージョンも完備。筆者は英語バージョンに挑戦しようと思いましたが、事前に調べたとき「スラングや訛りが強い英語があったりするのでちゃんと理解できる言語を選択した方が良い」というレビューがあったため、日本語バージョンを借りました。
音声ガイドは、本体がスマートフォンのような形状でヘッドフォンが付属しています。本体は基本音量しか操作しません。施設内を見学していると天井に設置してあるセンサーに本体が反応して、その展示物に合ったガイダンスが自動で流れます。
見学後の感想としては、音声ガイドがあるとないとでは満足度に天と地の差があるため、「絶対に絶対に借りるべき」ということだけお伝えしておきます。
イントロダクション展示
受付の建物内の展示は、いわばイントロダクション。ここで音声ガイドがどう流れるのかにも慣れておきましょう。
イギリスからオーストラリアまで、当時は6〜8か月はかかったと言われる長い長い航海。
囚人たちの名前とその罪が書かれた壁、海以外は何もないスクリーンの映像が、彼らの絶望を感じさせます。初めの頃はただの帆船だったため、長い航海は危険で衛生面も非常に悪く、オーストラリアにたどり着く前に亡くなる囚人も多かったそうです。
長い長い船旅をイメージ

この方がマッコーリー総督です

当時のオーストラリアでは、流刑に処された囚人たちを監督し労働の指示をする、主に軍から派遣されたイギリス人たちがピラミッドの頂点。ラックラン・マッコーリー総督は、ニューサウスウェールズ植民地総督として1810年から1821年の間指揮し、植民地の自由社会化に貢献しました。ハイドパーク・バラックスもマッコーリー総督の指示で建てられました。
一方で、残念ながら現地のアボリジナルの人々の虐殺を命令したのもこの方です。
中庭を挟んで向かいが本展示

さて、イントロダクションを終えて中庭に出ると目の前に本館が見えます。
まずは階段を上がり3階から見学、その後1階ずつ下りるような見学ルートです。
本館へ
旧総督邸とは違う簡素な作り

狭い廊下

階段を3階まで上がると、狭い廊下の左右に展示室が展開されています。
思うこともありけりな開拓初期
建築のための伐採

初期は建物を建てるための森林伐採や採石が大きな規模で行われていました。その様子を伝える精巧なジオラマが展示されています。
突然外から来た人々に大切な森を伐採されていく様子を、原住民の人々はさぞ複雑な思いで見ていたことでしょう。この時期はアボリジナルの人々に対するひどい扱いや虐殺も多く行われ、再現する展示もありました。
「アボリジニ」という呼称は差別用語にあたり、現世代のオーストラリア人の間では植民地以前から住んでいる民を「アボリジナルとトレス海峡諸島の人々」と呼んでいるそうです。アメリカやヨーロッパではアボリジニと呼ぶことがあったようですが、オーストラリアの人々は元から「Aboriginal people(アボリジナルピープル)」と呼んでいたとか。また、一括りにできないほど様々な民族の方々が住んでいたため、今もなおどのような呼称がよいのかという議論は続いているということです。
日本ではまだ知らない人もいるかも知れません。
シドニー・サンドストーンの切り出し

セント・メアリー大聖堂(初期建築部分)やザ・ロックス地区の建物をはじめ開拓時代に多く使われたのがシドニー・サンドストーンと呼ばれる赤っぽく見える石。メルボルンにはない建物の色味だったので、この石を使った建築物はシドニーならではだと思います。
ジオラマのように、危険な作業にも関わらず簡単な装備しかなかったため、落石による怪我や落下して亡くなる人も絶えなかったとか。
モルタルの原料を採る囚人たち

当時はセメントはまだなかったため、切り出した石を接着するためのモルタルは原料になる貝から加工して使っていたそうです。冷たい水の中で行う作業は囚人たちにとってつらいものだったようですが、よく見ると海辺の岩の上に制服をきた軍人がくつろぎながら作業を監視しているのがわかります。
また、囚人に対して監視する軍人の数が少なかったため、監視の目がない時期はうまくサボる囚人も多かったとか。この辺は、音声ガイドが暗くなりがちな時代をコミカルに演出していました。
囚人収容所の衛生面
囚人用のハンモック

バラックスはそれほど大きくないですし、廊下は狭く、部屋は収容人数に対して広いとは言い難い造りです。ハンモックもこの写真のような密度で設置されており、ヨーロッパ人の体格を考えると相当ぎちぎちだったのではと想像できます。当然お風呂やシャワーもないため、衛生面はひどいものだったでしょう。
音声ガイドも解説ではなく、人々のうめき声や不満、ネズミの鳴き声などが流れ、そのひどさをさらに演出しています。
ネズミが集めたゴミ

特にネズミは大繁殖していたようです。建物の隙間からは、ネズミが集めたガラクタや衣服の一部が大量に見つかったそうで、展示からは妙なリアルさを感じます。
様々なデザインのタトゥーの展示もありましたが、当時の衛生面を考えると感染症なども多かったのではないかと推測できます。
女性移民に想いを馳せる
時代が進み移民が増え、シドニーの街がだんだんと大きくなってきたころ。バラックスは、囚人用の施設から「女性移民が家族を探すための一時宿泊所や職を探す場所」として利用されるようになりました。
先に囚人として来た家族を探すために来た人、長旅で体調を崩した人、独り身で身寄りがなく誰かと知り合うために来た人……様々な背景を持つ人が訪れていたのだそう。
イギリスのように物が潤沢にはない場所。「擦り切れた服を何度も何度も直して着ていたのだろうな」と容易に想像できます。おしゃれをしたい乙女心や、妊婦さんの大変さ、開拓地で強く生きていくための仕事探しの難しさ……色々なことが垣間見えてとても切なくなりました。
何度も補修された服

女性移民は、軍人や上流階級の人々の屋敷で働く人が多かったそう。
清潔に見えるよう身なりを整えたり、現地調達のアクセサリーや布を割いて作った即席リボンで着飾ったり……施設長やスタッフは、採用してもらうためにどう自分を見せるかをアドバイスしたり、実際にここで面接をしたりもしたそうです。
アクセサリーや香水から見えるおしゃれ心

新聞や楽譜の切れ端から読み解ける当時の娯楽

人が増えるにつれ、物や娯楽も増えていきました。お酒や音楽を楽しめるようになりましたし、何といっても当時は「タバコ」が気軽に行える気分転換として大人気だったようです。
歴史を学び伝えること

最後の「レガシー」の部屋では、バラックスに収容されていた囚人やこのプロジェクトに関係していた人々の子孫が当時を思ったり、今の気持ちなどを語ったりする映像が流れています。
誇りに思う人、大変さを語る人、悲しみを訴える人、様々です。
筆者がオーストラリアのスタンスに感心するのは、「負の歴史を忘れてはいけない」ことをきちんと国民に対して公に示していることです。現代の子どもたちにもきちんと負の部分を学ばせていますし、個々の理解を尊重しています。アボリジナルの人々に対しては、これからも補償が続いていくことでしょう。少しずつでも共に歩を進める土台を築いていると、筆者は信じています。
迷わずおすすめ
何かと暗くなりがちなオーストラリア開拓の歴史の象徴とも言える「ハイドパーク・バラックス」。
前回訪れた旧総督邸とのギャップもそうですが、囚人の扱われ方のひどさや当時の人々の苦労には少々痛みを覚えました。刑罰のためのムチや足枷の展示を見ながら、それを作る鍛治職人の気持ちが音声ガイドから流れると、胸にぐっとくるものがありました。相変わらずアボリジナルの人たちに対する行動は目も当てられないですし。
それでも、ちょっと仕事をサボってみたり、看守の目を盗んでパブに行ってお酒を楽しんだり、つらい仕事や苦しい生活の合間に人間くさい部分が見えると少し安心するというか。
「人間の根本は変わらないんだな……」と自虐的に考えてみたり。妄想も捗りました。
無料でこのボリューム、このクオリティは、今まで訪れた中でも上位です。
オーストラリアの仄暗い部分を見られる展示、迷わずおすすめします。
Picture Gallery












DATA
Hyde Park Barracks
所在地:Queens Square, Macquarie St, Sydney NSW 2000
Webサイト:https://mhnsw.au/visit-us/hyde-park-barracks/
